ワークショップ1日目。11時からの「待ち合わせていた風景を記録する」キックオフトークが終わり、13時からヒアリングが始まった。グループAとBは共に3人ずつに分かれている。マームとジプシーは東京から、参加者は全国各地から、私たちスタッフは京都から、オンラインで顔をあわせた。今日の参加者は、これまで藤田さんが手がけた作品と縁のある人がほとんどだった。

グループの一人一人に対して藤田さんが質問を投げかけ、参加者の「待ち合わせていた風景」の記憶を引き出していく。それは一問一答のように単調なやりとりではなく、藤田さんの質問を皮切りに、参加者にとっての「待ち合わせていた風景」を広く深く伸ばしていくようにすすんでいく。そして次の参加者へ順番がめぐる。たまに、「今の話、〇〇さんはどう思いますか?」と藤田さんが愉しげに笑いながら参加者に問いかける。こうして他の参加者の口から出た話が、誰かに繋がれることもある。順番がめぐり、「待ち合わせていた風景」の関係性が交差するなかで、参加者はあくまで自分のエピソードを話しつづけていく。1日目の今日はこのヒアリングを1時間弱×2回行った。そしてヒアリング後、参加者は「待ち合わせていた場所」の写真を撮ってくる。撮りに行けない場合(高齢や遠方に出向かなくては行けない人)は、学生スタッフが、その人の代わりに「待ち合わせていた場所」へ向かい、写真を撮ってくる。

 藤田さんが24人の参加者に対して行ったヒアリングは、フィクションとして構成され、最終的に1つの戯曲が出来上がる予定だ。

 「あぁ、そこなら私も待ち合わせ場所にしたことがあるなぁ」というところでも、参加者の話を聞いていけば、まったく私とは異なる待ち合わせと、そこに至るまでの経緯がある。これはごく当たり前のことかもしれない。しかし話を聞いているうちに、どこか脈拍があがってくるような気がしてくる。もしかすると、私が誰かを待っているときに、その2つとなりの柱横で、あるいは大木の裏で、私と彼らは、同じように誰かを待っている人だったのかもしれない。

 そんなことを考えながら参加者の話に耳を澄ませていると、参加者の口から「この待ち合わせていた風景を語るときには、この言葉が一番似合う」という必然さを感じることがあった。そういう瞬間が不意に訪れるたびに、待ち合わせていた風景と、そこに居合わせた人への、ほのかな恋しさが人知れず物語られているのだと思う。今、この2021年において、気軽に待ち合わせできなくなる可能性のなかにある現在において、参加者の語りは単に懐古に留まらないなにかが織り込まれている。けれど今、その「なにか」とはいったいどういう言葉で縁どることができるだろう。

(学生スタッフ 毛利)