ワークショップ2日目は、11時から2人、13時から3人、15時から3人、16時から1人のヒアリングが行われた。今日は、初めて藤田さんのワークショップに参加する人もいた。年齢層が幅広く、今日は特に学生の参加者が多い気がした。

学生の参加者は、教室や校門前など、待ち合わせ場所の特徴が似通うことがある。その町や周りの風景、そこから待ち合わせ場所から向かう場所は「自分の記憶とはちがう」と頭では当然のように分かっているはずなのだけれど、不思議なことが脳内で組みたてられていく。

 私が通っていた中学校の教室や校門前に、参加者らが集まって、それぞれの別々の場所へ歩いていくような風景が、私に頭に浮かんでいた。それは、彼/彼女らの通っていた学校については想像できない、けれどなんとかして想像してみたいと思ったから浮かんだ、つぎはぎだらけのいびつな風景なのだ。

 70歳を超える参加者からは、大学闘争真っ只中の話が語られた。それは、教科書で文字だけをなぞるような歴史の知り方ではなくて、その時代に居た人の暮らし、京都のとある場所での待ち合わせ、そこからの行先をも肌に感じさせる語りだった。今22歳の私にとって、50年、60年前の京都を訪れる術はない。けれど私は話をきいて、記録を手元の紙に書き留めているうちに、この目でその参加者の歴史をそばで見たことがあるような感覚につつまれていた。誰かの物語に耳を澄ませることは、ときに、過去・現在・未来という時間、さらには自分と誰かの体を飛び越えているような経験をもたらしてくれる。とりわけ今日は、自分と参加者の記憶が重なり、時代や空間をも行き来する旅のような一日だった。

(学生スタッフ 毛利)