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 「待ち合わせていた風景を記録する」を、学内で人の目に触れる形にして展示する、という話が以前持ち上がっていた。マームとジプシーもそれをたのしみにしていたけれど、彼らが京都にこられないことが決まったそうだ。一度、会って話してみたかったから、けっこう残念で肩を落とした。そしたらすこしだけ、打ち合わせの内容を聞き逃してしまった。やはり悲しいことがあっても、やり過ごせない感情のために時間は立ち止まってはくれないな、と思う。
 しかし、遠く距離が離れていても、マームとジプシー主催の企画をうちたてることができるこの状態が、いまさらながら不思議に思える。文明が発達したことを讃えているわけではない。この「待ち合わせていた風景を記録する」という企画をすすめていく途中、私たち学生スタッフは、一度たりとも劇場の舞台に足を踏み入れていない。けれど、戯曲がたちあがっていき、それが展示としても動きだしている。はたして、劇場ってなんだろう。あの場所、あの劇場が、待ち合わせ場所だとして、それはいったい“どんな”待ち合わせ場所だというのだろう。その答えが出るかはわからないけれど、劇場で経験してきたことを思い浮かべて文章に書き落とすこの時間、それは、いまだ演劇がつづいていて、いまだ劇場からの帰り道をずっと歩きつづけているのかもしれないと考えていた。
 では、あの劇場は、いったいなんだろうか?(学生スタッフ 毛利)

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